ADHD 幼少期の頃の様子

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こんにちわjunnyです。

小さな頃から 自分自身の気質に苦しみ 生きづらさをずっと抱えて生きてきました。

※詳細はプロフィールにて

そんな私も40代半ばとなり今はすこしづつ自分を取り戻しつつ前向きに生きていけるようになってきたのですが その生きづらさの原因の一つでもある生まれ持った気質が

ADHDという発達障害であった

ということに大きな衝撃と安堵感を覚えたのが20数年ほど前。

やっと幼少期や学生時代のあの苦しみや症状とADHDの症状が合致したことで一歩踏み出すことが出来ました。

今回は その幼少期の性質の様子や味わってきた辛さ そしてどうやってやり過ごしていて どのように成長していったかを書いてみようと思います。

 

読んでくださってる方が お医者さんに相談する時の記憶を取り戻す際の参考にしたり、私も同じだ!と共感し、ホっと安心してくれたらと思います

また、親の立場としてこのサイトをご覧になってる方は、我が子はどんなことを考えてるの? このままどうやって育っていくのだろう?という疑問に対しての参考になればと思います。

(今回はHSPの繊細さについては記述してません)

恐怖の渦に包まれた幼稚園時代

人とのかかわり方が分からない

自分自身の記憶の始まりは3歳頃ですが

実際に自分が周囲とは違うと感じ始めたのは集団生活の場である幼稚園の入園直後からです。

私は他の同級生よりは一年遅れての入園だったため、初めて登園した時は教室から何人か同級生達が出てきて私の姿をジロジロと観察していたことを強く覚えてます。

その様子がとても怖くて 入園直後からもう既に不安感で一杯でした。

 

他の子達は仲良く一緒に遊んだりお話したり遊んでいたと思いますが

私はいつも一人で絵本を読んだりブランコしたりして 自分の世界に入り込んでまし

寂しいとか 仲間に入りたいという気持ちはあまりなかったように記憶してます

あまり人に対しての興味がなかったのかもしれませんし

そもそも、人とどうやって関わっていいのかが全く分かりませんでした

 

とにかく自分の世界以外の存在が怖かった時期です

 

先生の指示通り動けない

そして先生の指示に従って何か行動をするというのも あまりできなかったようです。

お遊戯をするときでも他の子達は先生の真似をして一緒に踊る中

私は ぼーーっと立ってるだけ

 

私は誰かが指示をしてそれに従う という概念が分からなかったようです。

けして反抗心からとかではなく 何を言ってるのか意味が分からなかったのではないでしょうか?

これは後に母親からも何度もボヤかれました

junnyはお遊戯の時でもいつも ずーっと立ってて何もしなかった と。

 

言葉の意味が理解できないというより 指示に従う必要があるというルールを知らなかった部分が大きかったと思います

 

 

自由がない!奴隷のような気分の小学校時代(入学時~低学年)

基本的生活習慣が身につかない

人とのかかわり方や先生からの指示が通らないというのは小学校低学年の頃まで続きました。

幼稚園時代は まだそれでも許してもらえたけど学校はもう社会生活。

毎日 同じ時間に起きて 着替えて 登校して 授業を受けて 家に帰って 宿題して お風呂に入って 明日の準備して 寝る

というごくごく当たり前のスケジュールを私は他の子と同じようにこなすことが出来ませんでした

家の中では

朝起きて 顔を洗って歯を磨いて 着替えて 身支度して 朝食(順番は家庭それぞれで異なります)

という一つの流れすら出来ませんでした

休日だろうと平日だろうと基本的なルーティーンはしていかないといけないものですが

私は全く出来なかったのです。

出来ない理由は

1.一連の流れを覚えられない(忘れる)
2.面倒くさくてやる気がない(疲れる)
3.しなくても怒られない(放任)

ADHDが起因のものと 親の放任主義と両方が合わさって基本的な生活習慣が身に付きませんでした。

他人に興味がないので 人からどう思われるか というのも頭の中の意識になかったのもありますね。

必要性を感じなかったり興味がないことは全くしたくなかったのです

授業についていけない

 

45分~50分間もの間 席に座って先生の話をずーっと聞くなんてことは

脳内多動が強い私には無理な話でした。

そもそも 先生の言ってる意味が理解出来なかったので苦痛そのものでした。

一言でいうと  地獄 です。

そして常に白昼夢で授業に参加してるので チャイムが鳴って他の生徒たちが別の教室に突然移動を始めても 私は全くその理由が分からないので 慌ててついていこうとしますが どこに行くのかさっぱりわからずうろうろしてました

授業も興味がない内容だと全く聞く気がしませんでした
集中力もなかったので先生の話は耳に入りませんでした

 

私の居場所はここじゃない!と自覚(障害があると認識した時)

学校生活はとにかく混乱の日々

まとみてみますと

1. 朝起きるのは苦痛 
寝ていたいのになんで起きなきゃいけないの?? 意味が分からない!!

2. 着替えたり身支度が下手
制服どこ? ボタンがうまくとめられない 洗顔 歯磨きが出来ない

3. 学校に行きたくない
時間に間に合わない! 何とか間に合ったけど 家から出るのが苦痛! つらい!

4. 授業がさっぱりついていけない
ん?? 先生が何言ってるかさっぱりわからない 暇だなぁ。。。 あれ? チャィム鳴った後にみんなどこかに移動してるけど どこにいくの??

5. 帰宅 帰りながらずーっと考え事する
やっと終わってヘトヘト。。。 あ また今日もトイレ行きたい あーー 間に合わない おしっこ漏れちゃった・・・

6. 宿題をしたことがない
やっと地獄の学校が終わった! 疲れたからぼーっとしておこう(宿題は頭の中からすぽり抜けてる)

7. 明日の準備をする概念もなし
面倒くさいお風呂やっとあがった~ さーてテレビでも見て寝よう~っと(明日の準備をしてたことがない)

 

どう考えても違和感しかなかった私があるとき 学年ごとに分かれるクラス以外にも特別な教室があることに気づきます

それが今でいう 特別支援学級 です

他の同級生達の様子とは 行動などが明らかに違うということは幼いながらにも理解が出来ました

そして 教室内に置いてある遊具で遊んだりしてるのを見て 羨ましいと思ったのと同時に

私の居場所はここだ! と確信しました

 

ここで余談ですが もう一つ 印象的なエピソードを

年に一度の七夕ってありますが 短冊に願い事を書いて笹の葉に飾りますよね

我が家でも毎年恒例で短冊飾りを作ってましたが その短冊に書いた内容が

なんとなんと

『はやくおばあちゃんになりたいです』 でした

そんなこと書く小学生っていますか?

そしてその意図とは?

単純に 家でぼーーーっとのんびりしたかっただけです

私にとって あばあちゃんのイメージは縁側でお茶をすすりながら日向ぼっこをする姿が強かったのですね

身近におばあちゃんという存在がいなかったので なんとなく漫画などで見たおばあちゃんの姿を見て いいなぁ~ 私もこんな風に生活したい!と とても羨ましかったのです

 

興味がない事以外は何もしたくないのは今も同じです
でも社会生活はそれは通用しないんですよね。。。辛い

 

 

心の成長を感じ始めた小学校 中~高学年

洗濯は自分ですることにした

 

そんな状態で苦しんでた小学生時代ですが そうはいっても成長は確実にします

4年生になると 学校で家庭科の授業が始まりました。

洗濯の仕方 料理  裁縫など 簡単な家事を学ぶのですが 意外とこの科目は興味がそそられて楽しく感じました

一番影響を与えたのが  洗濯

私の制服や下着 靴下などは お恥ずかしながらいつも汚れてました

蓄膿症で常に鼻水を垂らしていたのにティッシュやハンカチを持ってなかったりして制服の袖は鼻水でカピカピ

スカートもいつもシワシワ

靴下も引出に入ってないので 洗濯かごから既に使用済みの真っ黒の汚い靴下を取り出してまた掃く

この頃になると さすがに恥ずかしいという羞恥心が芽生えてきてるので この状態を何とかしたいと思ってました

そこで学校で 洗濯をする という概念を知り(洗濯の方法というよりは 洗濯は毎日するものだということを初めて知ったのです)自分で洗濯することにしたのです。

なのでこの頃から学校から帰ると 宿題そっちのけで一番に洗濯機を回すことがルーティーンとなりました

プリーツスカートも毎週洗濯して アイロンをかけます

いつもクシャクシャだったハンカチにもぴしっとアイロン

これでやっと身だしなみを整える習慣がやっと身に着くようになりました

身なりが整ったら男子とも遊べるようになった

ありがたいことに 私はイジメには遭いませんでした

とはいっても 男子からは相当嫌われていて フォークダンスでは手をつながれない 名字で名前を呼ばれない  バイキンと呼ばれるということはありました

でもこれら全て 私の中ではイジメとは認識しておらず 私がもし同じ立場だったら間違いなく嫌ってただろうなと思ったので 腹は立たないのです

女の子達はとても優しくて 一度も意地悪をされたことがなかったので学校の雰囲気も良かったんですね きっと。

で そんな風に嫌われていた私でも ある程度身なりが整うと 男子たちも少しづつ普通に接してくれるようになり 高学年になると みんなでサッカーしたりして楽しく遊べるようになりました

 

学校の勉強は相変わらずよくわからなかったけど 授業もじっと座って先生の話が聞けるようになったし比較的得意な科目は楽しく感じました

ようやく 周囲の子達についていけるようになって

抜けたような魂が自分の中に戻ってきたようになりました

 

幼少期のまとめ

幼少期の主な症状 状態をまとめてみます

■ 人の話が理解できない 指示が通らない
■ ぼーっとしてるので忘れ物が多い
■ 人に興味がない

これに加えて 体調もあまり思わしくなく 常に疲れてました

好き嫌いが多く栄養不足だったり 自律神経が乱れやすかったり 貧血気味だったりという肉体的な要因と 苦手な事ばかりしなくてはいけない社会生活によるストレスでの精神的な要因両方があると思います。

 

幼稚園から始まった社会生活

私にとっては 本当に苦痛以外の何物でもなかったし

将来大きくなっても社会人としてやっていくことや結婚することなんて出来ないと思ってました

でも確実に成長はするものだと 今振り返っても思いますね

私の息子も実は発達障害(軽度自閉症)を抱えてますが 将来仕事とか出来ないだろうな・・と小さなころは思ってたけど 今では立派な社会人になってます

 

一番顕著に表れるのが幼少期かもしれないけど

周囲の手助けと 本人の自覚でいくらでも変わることは出来るということを身をもって体験しました